行進曲「ブロックM」 (Jerry.H.Bilik 作曲)
曲名の「M」とは、アメリカのミシガン大学マーチング・バンドが、マーチングの演技の一つとして作るフォーメーションの形のことです。
1950年代に、この大学に在学していたジェリー・ビリクが作曲した、華やかなスタイルのコンサート・マーチです。
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喜歌劇「メリーウィドウ」より ヴィリアの歌 (Alfred Reed 編曲)
全3幕で構成されている「メリー・ウィドウ」は、若く美しい未亡人のハンナがパリにやってきて引き起こす様々な騒動を描いており、幼なじみの公使館秘書ダニロと、めでたく結ばれるまでを物語にした歌劇です。
その中でも、第2幕で演奏されるヴィリアの歌は、数多いウィーン・オペレッタの中にあって最も美しい歌といわれている曲です。
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オペラ座の怪人 (Michael Sweeney 編曲)
劇団「四季」がロングランで公演しているミュージカル「オペラ座の怪人」は、2005年初めに映画化され、全国ロードショーされました。
お芝居というと、なかなかこの辺りではお目にかかることも少ないのですが、旭川市内にも映画館がありますので、映画化によって、この作品をご覧になった方もいらっしゃるかと思います。
原曲では、パイプオルガンの荘厳な響きが印象的で、豪華絢爛なオペラ座を舞台にした愛憎渦巻く悲劇の物語の幕が開かれるような曲調になっています。
某自動車メーカーのCMでも起用されていましたので、大変有名な曲となっております。
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リムジン江 (李鐘石 編曲)
曲のタイトルであるリムジン江とは、朝鮮半島を流れる川のことで、日本では、リムジン川、あるいはイムジン川と呼ばれています。
ご存じのとおり、朝鮮半島は、38度線を境に、北朝鮮―朝鮮民主主義人民共和国と、韓国―大韓民国の2つに分かれています。
曲の作詞をしたパク・セヨンは、北朝鮮の人で、歌詞の内容は、南側に流れていくこの川や、その川を泳ぐ魚、また、空を飛ぶ鳥のように、南北を自由に行き来できたらどんなに良いだろうか、という統一の願いが込められた歌となっています。
1960年代に、「帰ってきたヨッパライ」をヒットさせたフォーク・クルセダーズがこの歌を日本語に訳し、「イムジン河」として、レコード化しようとしましたが、様々な問題から発売禁止処分になるという数奇な運命をたどることになりました。
そして、2005年春に、そのことをベースとした物語が「パッチギ」という映画になり、上映されました。この映画の内容は、京都の在日朝鮮人2世の女子高校生と、日本人の男子高校生の禁じられた恋愛を元にしたものです。
劇中で、この「リムジンガン」の吹奏楽演奏シーンがあり、それを見たメンバーの一人が、定期演奏会で演奏できないか、と思い立ち、日本の朝鮮学校に問い合わせて楽譜を送っていただいたものです。
この楽譜を送っていただいた際の手紙にあった一文を紹介させていただきます。
「実は…ここ何年間、拉致問題などの影響で、私たち朝鮮学校の生徒に対する嫌がらせや差別などが多々あり、実は生徒たちの中では『日本の方たちはみんな朝鮮人を嫌っている』という考えがあったのですが、今回『リムジンガン』を演奏するというお話を聞き、また私たちの学校に連絡を下さったことに生徒達が大変感動し、また感謝しております。
私たちにとって、すごく励みになりましたし、元気をいただきました。
本当にありがとうございました!!」とのことでした。
確かに、朝鮮に拉致された日本人の被害者の方々にとっては大変なご苦労をされていることと思いますが、それは朝鮮政府がやったことであって、子ども達には何の罪もありません。ましてや、日本で生まれ育った在日3世や4世といった子ども達は、私たち日本人と何の変わりもありません。それを差別したり、嫌がらせをしたりするということは同じ日本人として恥ずかしいことではないでしょうか?
そして何よりも、在日朝鮮・韓国人の方々の多くは戦前に朝鮮半島から無理矢理連れてこられたという事実から目をそむけてはいけないと思います。
定期演奏会では、そういった経緯と、これから世界の人々がいがみ合うことなく楽しく暮らしていけるよう願いを込めてこの曲を演奏しました。
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第7回愛別吹奏楽団定期演奏会のページへ
welcome (真島俊夫 作曲)
作曲者である真島俊夫さんは、吹奏楽界での第一人者であり、特に、編曲に多く携わっています。
沖縄音楽を数多く手がけていて、沖縄民謡「安里屋ユンタ」をサンバ調にアレンジし、2003年の第5回定期演奏会でも演奏した「安里屋さんば」も代表曲の一つです。
「welcome」は真島さんのオリジナル曲ですが、どこか沖縄を連想させるような南国ムード漂うメロディーが垣間見えます。
全体的に明るいコード進行の曲で、皆さんようこそお越しいただきました「ウェルカム!」という意味を込めて第2部のオープニング曲として選曲しました。
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仁義なき戦いのテーマ (天野正道 編曲)
1973年から全12作が公開された映画「仁義無き戦い」のテーマです。
この映画は、広島県呉市の暴力団の獄中手記をもとに、週刊誌に連載されたドキュメントを映画化したもので、実話であるがゆえの衝撃を広く世間に与えた問題作です。この映画からは菅原文太、松方弘樹、梅宮辰夫などの俳優が一躍有名になったことでも知られています。
この映画を観たことがない方でも、イントロ部分がCMやテレビでも数多く使われ、特に2005年は、郵政民営化の是否を争点として9月に行われた衆議院選挙の運動期間中に、自民党対新党の対決といった内容の報道で頻繁に使われました。
定期演奏会では、トランペットとアルト・サックスのソロ対決がありました。
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サンバ・デ・ミネルバ (岩井直溥 編曲)
ミネルバとは武芸の女神のことを意味しています。サンバは皆さんご存じのとおり、リオのカーニバルで有名なブラジルなど南米発祥の音楽で、とてもノリの良いリズムで、特にアゴゴ、カウベル、マラカスといった打楽器が小刻みにリズムを打ち、自然と体が踊りだしてくる音楽です。
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Believe (小島里美 編曲)
ビリーブとは英語で「信じる」という意味です。この曲はNHKで放送されていた「生き物地球紀行」という番組のエンディングテーマです。
番組は放送を終了していますが、動物や植物など、自然の大切さを訴えた教育番組で、大人から子どもまで家族で楽しめる内容でした。
このテーマ音楽は、美しいメロディーと歌詞の内容から、番組の枠を飛び越え、音楽の教科書にも載っており、旅立ちの歌として卒業式などでも良く歌われているようです。
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シング (岩井直溥 編曲)
シングとは英語で「歌う」という意味です。原曲は英語ですが、歌詞の中で「歌おう、歌えば嫌なことも忘れてしまう」といった内容の歌で、その通り明るく軽快な作品になっています。
歌っていたのは1970年代のアメリカを代表する兄妹デュオ、カーペンターズです。カーペンターズは、兄リチャードの弾くピアノに、妹カレンの清らかな歌声が非常にマッチし、世界中の多くの聴衆の心を魅了しました。
「シング」のほかにも「イエスタディ・ワンスモア」「スーパースター」「トップ・オブ・ザ・ワールド」「プリーズ・ミスター・ポストマン」など、オリジナルやカバーなど数々のヒット曲に恵まれました。
ただ、残念なことに、妹のカレンは長い間、拒食症という病に侵され1983年に32歳という若さで遂に帰らぬ人となってしまいました。しかしながら、彼女が亡くなってからも、カーペンターズの作品は世界中の人々に愛され続けています。
定期演奏会では、途中、メンバー全員が歌う箇所があり、会場の皆さんにも一緒に歌声に参加していただきました。
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ジャパニーズ・グラフィティー]「時代劇絵巻」 (星出尚志 編曲)
日本のテレビドラマで最も数が多く、そして何度も再放送が繰り返され、世代を超えて誰もが知っているジャンルは時代劇です。
その中でも特に人気が高い5曲のメドレーです。
まず最初は「この紋所が目に入らぬか〜」でおなじみ、
天下の副将軍、水戸のご隠居、はたまた、越後の"ちりめん問屋"光衛門など劇中、様々な異名を持つ「水戸黄門」です。ちなみに本名は徳川光圀です。
1969年に最初のシリーズが放映されてから、2005年で実に36年の歳月が経ちますが、変わらぬスタイルで放送され続けている長寿番組です。初代黄門様の東野英治郎から、西村晃、佐野浅夫、石坂浩二、里見浩太朗と、5人の黄門様に受け継がれています。
ちなみに、実際の黄門様は若い頃大変な遊び人だったそうですが、ある時期から心を入れ替えて公務に励み、「大日本史」という書物の編纂に尽力されました。
なお、日本で最初にラーメンを食べたのもこの黄門様です。また、驚いたことに、実際には関東平野から外へ出たことは無く、諸国漫遊というのは作り話なのだそうです。
続いては、「今日も決めての銭が飛ぶ」の歌詞でおなじみ「銭形平次」です。大川橋蔵が主演したこのドラマは、1966年にスタートし、1984年までに888話が放送され、一人の俳優が主演した時代劇としてはテレビ・ドラマ史に残る大記録となっています。
この平次親分は実在しない人物で、原作者がたまたま小説執筆中に書斎の窓から見えたお店の屋号が「銭形屋」だったことから、この物語を考え付いたそうです。
3曲目は「大江戸捜査網」のテーマです。時代劇のテーマはなぜか演歌風で短調の曲が多いのですが、この曲は明るくリズミカルな音楽で、途中、4分の5、8分の6などといった変拍子があり、欧米風の斬新なテーマ音楽となっています。
番組は1970年から1992年までに712話が放送され、主演は杉良太郎から里見浩太朗、松方弘樹、並木史朗、橋爪淳へと変わっていきました。時代劇の型にとらわれず、スパイアクションの要素を取り入れたストーリー展開が視聴者を釘付けにしました。
続いては名奉行で知られる「大岡越前」のテーマです。加藤剛主演によるこのドラマは1970年から1999年にかけて全402話が放送されました。
特に印象的だった場面は―育ての母親と長く暮らしてきた少女の前にある日、生みの母親が現れ、親権を主張します。双方一歩も譲らない状況の中、越前は、お白洲の場で二人の母親に、左右両方からその子の手を引っ張らせ、力ずくで奪い取った方を母親として認める、と言い渡しました。そして、まるで綱引きをするかのように少女の腕はちぎれんばかりに引っ張られ、少女は「痛い、おっ母さんやめて」と悲鳴を上げます。
そこで、はっとして慌てて腕を離したのは育ての母親でした。越前は、「本当に子どもに愛情があるのなら、痛いという子どもの叫びが聞こえるはずだ。それにもかかわらず腕を引っ張る者には母親としての資格は無い」と、生みの親を一喝し、少女は今までどおり、育ての母親と暮らすことができた―という義理と人情に厚い名裁きのシーンです。余談ですが、その少女役を演じていたのは、当時、名子役として名をはせていました杉田かおるでした。あの頃は可愛かったのですが…。
定期演奏会では、テナーサックス魅惑のソロで楽しんでいただきました。
そして、メドレーの最後を飾るのは、マツケン・サンバですっかりおなじみになりました松平健主演の「暴れん坊将軍」です。
この番組は1978年から放送され、惜しまれつつも2003年に終了しました。江戸幕府八代将軍・徳川吉宗は、先に述べた大岡奉行などとともに、江戸の治安維持や経済の安定に尽力した名将軍です。ドラマでは徳田真之介と名乗り、お忍びで世にはびこる悪を成敗していくことになっていますが、実際にはそのようなことは一切していませんでした。
吉宗は、米相場の調整に尽力したため「米将軍」と呼ばれていましたが、このドラマの印象があまりに強かったせいか、ある入試問題で「八代将軍・吉宗は何々将軍と呼ばれた」という穴埋め問題で「暴れん坊将軍」と答える者が続出したというエピソードも残っています。
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第7回愛別吹奏楽団定期演奏会のページへ
シング・シング・シング (岩井直溥 編曲)
ベニー・グッドマン楽団の演奏で大ヒットしたスウィングの傑作。当時の名ドラマー、ジョージ・クルーパのドラム・ソロを全編にフューチャーさせ、グッドマンのクラリネット・ソロとの掛け合いが大いに受けたものです。映画「スウィング・ガールズ」の劇中でも演奏されました。
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